2012年06月20日

【祝】友人が本を出版♪ 自分次第で未来は変わる!


皆さま、こんにちは、えいと@です。お久しぶりです〜。


少し間があいてしまいましたが、ご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



さて。


先日、日本から国際郵便が届きまして。


 a-hiromeisan12-2.jpg


もっと時間がかかるかと思ってたのですが、意外に早く到着いたしました。


友人から「送ったよ〜」ってメールが来て3日後に我が家に届きましたよー。


日本からの国際郵便は優秀ですなぁ。


で、届いた品はこれっ! ↓


   a-hiromeisan12-1.jpg


友人のひろめいさんが本を出版されたのですっ!


ひろめいさんは漫画ブログを書いておられる方で、


今回めでたく本を初出版されました!



ひろめいさんと私との出会いは ブログでした。


私がブログを始めた2006年頃に、


ネットサーフィンをしていて偶然に見つけたのが ひろめいさんの漫画ブログだったんです。

  ひろめいさんのブログはこちら♪ ↓
       SYNCHRO !


イラストのかわいさ、漫画の内容にとても共感が持てて、


ひろめいさんのブログにコメントを書いたのがはじまりなんですねぇ。


そしてお互いにブログにコメントを書くようになって、(それが6年前)


その後にはメールをしあったり、私が一時帰国した時に会ったりするようになったんです。

 関連過去記事はこちら ↓ をご覧下さいね♪
  銀座でデート☆ビアホールでガールズトーク♪
  パワースポット皇居散歩 & ガールズトーク



そのひろめいさんが本を初出版されたのです!


   a-hiromeisan12-1.jpg


タイトルは → ぴかぴか(新しい)催眠セラピー 体験しました!ぴかぴか(新しい)



実は前回お会いした時こちら)に、本を出版するお話を聞いていたのですが、


催眠セラピーがテーマとは…まったく予想外でした。


私自身、催眠セラピーについて まったく知らなかったし、


実のところ興味もなかったのですよ。


しか〜しっ!


面白い!


全く興味がなかった私が ひろめいさんの本にグイグイ引き込まれていったのです。


ひろめいさんが描く かわいいイラストの 漫画の本ということもあって、


とーっても読みやすいし、内容もすばらしいんですよ。


これ、お世辞じゃありませんから。イヤ、ホント。



ネタバレになっちゃうので、詳しくは書けないけど、


とっても共感できる内容が書かれていたんです。


今、生きている自分は過去世(前世)からつながっているってこと。


そして、未来はいく通りもあって、それは自分で決める事ができるってこと。


未来の自分が 幸せな自分になるか、そうではない自分になるかは自分次第ってことなんですね。


5年後、10年後、20年後にはこんな風な「自分」になっていて欲しい…!


そのために 今を生きる!…ってことなんです。


未来のために自分を磨き、努力するのはもちろんのこと、


自分の周りに存在する人は 自分の将来に影響を与える人物なのだから、


その人達を大切にすることで 自分の未来が変わってくる…ということなのですね。



例えば…自分の両親。


親がいなかったら自分はこの世に生まれてこなかったのですから。


子供を産んで一人前にするって 大変な事なんですもの。


自分が独立したあとも、いつも心配してくれる存在が 両親。


親がいて当たり前、親が元気でいるのは当たりまえ。


いやいや。決して当たり前ではないですから。


親だって山あり谷ありの人生だったはずでしょうから。


親はかけがえのない存在です。


親に感謝をし、大切にしなければ…と思います。



そして、自分の伴侶(夫 or 妻)です。


もともとは他人であった二人が 何かの縁で結婚することになったのです。


私はこの「縁」は ものすごく強い絆であると感じています。


この「縁」を大切にするかしないかで 未来の自分が決まるのだとしたら…。


人との出会いって、偶然では片付けられないのじゃないか…?と思うのです。



両親や伴侶だけでなく、兄弟姉妹、友人、仕事仲間、ご近所さん…。


自分を取り巻くすべてが 自分の未来に影響する。


そんな風に考えると…自分を取り巻く人達を 大切にしていこう…って思うのです。


しょーもないことで不満を言ったり、文句を言ったり、


感謝や思いやりの心を持たず、人を泣かすようなことを平気でする。


こういう生き方 ↑ は…悲しいことだし、


人を傷つけた事で その人との縁がぷっつりと切れてしまったとしたら…。


それで未来が変わってしまうかもしれないんですから…ね。


身近な人をゾンザイに扱ったり


毎日不満ばっかり言って生きるより、


いつも笑顔で 前向きに生きる方が絶対に人生は楽しくなる…って、そんな風に思います。



自分の周りの人を大切にし、毎日を一生懸命に生きる。


この当たり前の事が実はとっても難しくて、とても大切な事なんだ…って


ひろめいさんの本を読んで、共感、再認識することができました。


ひろめいさん、ありがとう〜!


ステキな本をプレゼントしてくれて♪


ひろめいさんのメッセージを意識して これからの人生を生きていきますっ!



 a-hiromeisan12-3.jpg

ひろめいさんが書いてくださった直筆のイラスト↑です♪


興味持たれた方は 本屋さんにいって手に取ってみてくださいね〜♪(現在発売中♪)


   hiromeisan12-1.jpg




それではまた〜。。。(⌒ー⌒)ノ〜〜〜



  今日も読んで下さってありがとうございました! 
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2012年05月29日

日本人ならば日の丸に親近感を持たないはずはない


皆さま、こんにちは、えいと@です。


本日もご訪問くださいましてありがとうございます。



ご無沙汰しております〜〜〜。


ここ最近、ちょっと忙しくて、ブログを書くまとまった時間がなかなかとれなくて、


気がついたら1週間以上もブログを放置してしまっておりました。。。(汗)


ツイッターは気軽に書き込めるため、こちらではちょくちょくつぶやいておったんですけどね…。

  えいと@のツイートはこちらで見れます → Twitterボタン



更新が滞っているにもかかわらずご訪問くださった方、応援クリックをしてくださった方、


本当にありがとうございます! 感謝でございます〜!


今後ともよろしくお願いいたします♪



それにしても暑い!


めちゃくちゃ暑いPA州東部であります。


今日の最高気温は なんと華氏95度!(摂氏35度)ですっ。


ついこの前まで寒くて ランチはきつねうどん とかラーメンを食べてたっていうのに。


ここ数日は暑くて 冷やし中華を連続で作っちゃったですよー。


しかもこの3日ほど 毎日 Thunderstorm警報が出てて、


ものすごい湿気でありますー。ジメジメ〜〜〜


不快指数100%ちゃうのん?…ってほど暑苦しい毎日なのですよー。


で、昨日はちょっと出かけたのですが、車に乗っている最中にものすごい豪雨に見舞われましてね。


ホントに視界がほとんどなくなるほどの豪雨!


すぐ前に走っている車も見えないの!


運転、恐怖でしたよぉ〜〜〜。(えいと@夫が運転していたのですけどね。笑)




さて。


本日、アメリカはMemorial Day(メモリアルデー)でございました。


Memorial Dayとは 戦没者追悼記念日のことです。


南北戦争から現在までの米国の軍事任務における戦没者を追悼する日です。


アメリカにおいては「国のために戦った軍人」に対して多大なる敬意がはらわれているのですね。


まぁ、アメリカに限らず、どこの国も「国のために戦って亡くなった先人」に対して敬意を払うのは当たり前の事なんですけどね。


唯一 ある国を除けば…。


その、ある国とは…残念な事に我が国、日本です。


どの国であっても 戦争を含めた歴史の上に現在があるといっても過言ではありません。


何も 日本だけが戦争をしてきたわけではないんです。


戦争によって 世界中で国同士の国益のぶつかり合いがあったわけですよ。


どの国も 自国の国益のため、後世のために必死で戦ったのです。


その結果、今がある。


国のために戦争で戦い、命を落とした先人に敬意を払うのは、


けして特別な事ではなく ごく当たり前の事なんですね。


しかし、日本には 国全体で戦没者をお祀りする日がないのです。


靖国神社には戦没者が英霊としてお祀りされており、


7月13日〜16日には御霊祭りが執り行われますし、
  詳しくは「靖国神社 みたままつり」のHPをご覧下さい。


8月15日の「終戦の日」には 多くの方が靖国神社を参拝しますが、


国としての行事にはなっていないのです。残念ながら…。



私は日本が特別に愛国心がないとは思いません。


よほど強いイデオロギーがあるとか、反日活動をするために日本の国籍を取って日本人になった人間でなければ、


自分の生まれた国が大嫌い…なんて思っている国民はいないと思うのです。


オリンピックなどのスポーツ大会では 一丸となって自国のチームを応援しますし、


日本って食べ物はおいしいし、治安はいいし、いい国だよね。日本に生まれて良かったよね♪


…と、こんな風 ↑ に思っている日本人は多いと思うんです。


それなのに…なぜ 日本人は国旗を堂々と掲げる事ができないのか…。


やはり戦後の教育に問題があったことに 大きな原因があるのだと思います。


強いイデオロギーをもつ教員がたくさん存在する日本。


しかも公立の小学校〜大学に イデオロギーを持つ教員が多数存在するのです。


そういう教員が国旗掲揚、国歌斉唱の否定を生徒に強要するのです。


強要なんてしていない!…って言われるかもしれませんが、


何も教えられないのに日本の国旗や国歌を否定する子供がいるでしょうか?


大東亜戦争後の米国占領下の日本で、


GHQは「戦前の日本は卑劣な侵略国家であり、米軍は軍国主義者の抑圧から日本国民を解放した救済者」だとし、


「先の戦争に対する罪悪感」を徹底的に教え込む「自虐史観教育」が行われ、


自虐史観が日本人の心に植えつけられるようになっていきました。


GHQの占領が終了すると、日教組による教育が始まります。


日教組は戦後60年以上にわたり、


国旗・国歌反対、反道徳教育、自虐史観教育、平和人権教育、ジェンダーフリー教育を子供に教えすりこんでいったのです。


日教組教師による「平和教育」を受けた子供たちはこういう感想文 ↓ を書くのです。

「私は日本に生まれなければよかった。」
「人殺しをした日本人は大嫌い」
「僕のおじいちゃんたちは人殺しをした。こんな日本の国は大嫌いだ」

      「WiLL」2009年7月号【民主政権は“日教組政権”だ】より引用


こんな風 ↑ な感想をもつ子供たちが存在することを 英霊の知るところとなったら…


どんなに感じられる事でしょうね…?



ところで、私のブログにコメントを下さる方が 素晴らしい事 ↓ をご自身のブログ書いておられたので ご紹介します。
  実録!翔の『極楽カナダ生活』

 〜〜〜転載ここから〜〜〜

カナダ国民にとって、カナダの国旗は、とても身近なものです。
特別な日でなくても、町のいたるところに、国旗がはためいています。

学校でも、assembly (朝礼)のたびに、全員で起立して、国旗に向かって National Anthem 国歌 (O Canada)を歌います。
もちろん、僕も歌います。
僕は日本人だけど、僕を受け入れてくれたカナダに、とても愛着を持っています。

それと、僕は、どこの国の国旗に対してであれ、きちんと尊重すべきだと思っています。
ましてや、自分がお世話になっている国であれば、なおさらです。


                 〜〜〜転載ここまで〜〜〜


翔さんはカナダ在住の男性の方で 何と御年 12歳なのです。


12歳という若さで これほどしっかりとしたお考えをもっておられる翔さんを 私は尊敬いたします。



過去記事でご紹介した日の丸の由来とい動画があります。


     日の丸の由来(8分16秒)


この動画をご覧になって、翔さんがご自身のブログ「那須与一と日の丸の起源」をご紹介されていたので、転載させていただきます。

   〜〜〜ここから転載〜〜〜

那須与一と日の丸の起源について、書かれている文章を見つけたので、紹介します。
読んで、とても勉強になりました。
こちらです。→ つれづれ記 日の丸の扇(那須与一)一部引用します。

  ..............................ここから引用................................................
日の丸の扇をかざして弁慶を家来にした牛若丸(源義経)は、元暦2年(1185)2月、四国屋島に陣をしいていた平家をわずか150騎の軍勢で背後から攻めたてました。慌てた平家は船で海に逃れ海辺の源氏と対峙することになりました。戦は一進一退が続き、やがて夕暮れに近づきます。この時平家方から立派に飾った一艘の小舟が源氏の陣に近づいて来ました。見ると美しく着飾った女性が、日の丸を描いた扇を竿の先端につけて立っています。「この扇を弓で射落としてみよ」という挑戦でした。
 義経は、弓の名手那須与一を呼び寄せ「あの扇を射て」と命じました。与一は何度も辞退しましたが、聞き入れられず意を決して馬を海中に乗り入れました。このとき与一は弱冠20歳。「平家物語」では、このくだりをおおよそ次のように書いています。

 時は2月18日、午後6時頃のことだった。折から北風が激しく吹き荒れ、岸を打つ波も高かった。舟は揺り上げられ揺り戻されているので、扇は少しも静止していない。沖には平氏が一面に船を並べ、陸では源氏がくつわを並べて見守っている。(中略)与一は目を閉じて「南無八幡大菩薩、とりわけわが国の神々、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真ん中を射させてくれ給え。これを射損じる位ならば、弓切り折り自害して、人に二度と顔を向けられず。今一度本国へ向かへんと思し召さば、この矢外させ給うな」と念じて目を見開いてみると、風はいくぶん弱まり的の扇も射やすくなっているではないか。与一は鏑矢を取ってつがえ、十分に引き絞ってひょうと放った。子兵とはいいながら、矢は十二束三伏で弓は強い。鏑矢は、浦一体に鳴り響くほどに長いうなりをたてながら、正確に扇の要から一寸ほど離れたところを射切った。鏑矢はそのまま飛んで海に落ちたが、扇は空に舞い上がったのち春風に一もみ二もみもまれて、さっと海に散り落ちた。紅色の扇は夕日のように輝いて白波の上に漂い、浮き沈みする。沖の平氏も陸の源氏も、これには等しく感動した。

  ...........................ここまで引用...................................................

これは ↓ 狩野休圓が描いた那須与一扇の的の絵です。赤い扇に白か金の丸が見えます。

 j-hinomaru12-1.jpg
   狩野休圓(1641〜1717) 江戸時代の作品
 (香川県高松市公式ホームページ那須与一扇の的から借用)

ゆれている船の上。ゆれている扇の的。両軍が見守る中。
ものすごいプレッシャーだったろうなあって、想像します。僕が、クラスのみんなからの応援と期待を受けて、クラス代表としてスピーチ大会に出たときや、学校代表としてディストリクトで闘ったときのプレッシャーの比じゃないなあ、文字通り、命をかけていたんだろうし、家名のこともあるだろうし、そもそも源氏側として平家側に挑戦されて退くわけにはいかない気持ちだろうし、主君やみんなからの期待はすごいものがあるだろうし・・・って思いました。
でも、矢を放つ瞬間は、無心 になっていたのかもしれない。

平家の女人が、船首でかかげたときは、こんな風 ↓ だったのかも。

   j-hinomaru12-2.jpg
  (あでやかで美しく粋なイラストです。浮世絵風美人画から借用)

これ ↓ は、西野神社の合格絵馬です。これも、赤い扇に白い丸になってます。

 j-hinomaru12-3.jpg
   西野神社の合格絵馬(西野神社 社務日誌から借用)
   すごく、ごりやくがありそうな絵馬だなあって思いました。

こちら ↓ は、五条大橋での、牛若丸(義経) 対 弁慶 です。牛若丸(義経)が放った扇は、白い扇に赤い丸、つまり、「日の丸扇」ですね!

 j-hinomaru12-5.jpg
  牛若丸(切り絵/大西良介から借用。躍動感あふれる感動的な切り絵です。)

               〜〜〜転載ここまで〜〜〜


こういうこと ↑ を知ると日本人であるならば 日の丸に親近感を持てないはずはないのでは…?と思いますが…。


いかがでしょうか…?


nadesiko2011-1.jpg
    時事ドットコムより画像をお借りしました




       【お知らせ】

いつも温かいコメントをありがとうございます。

お返事が大変遅くなって申し訳ありません。

以下の記事 ↓ にいただいたコメントにお返事を書きましたので、お時間がある時に読んでくださいまし。

広島カープの元内野手 ルイス・ロペス選手に遭遇! えいと@夫 大興奮!
アメリカの大学院の卒業式〜2012〜
私たちの尖閣諸島を守り抜こう! 尖閣諸島寄付金のお知らせ
「従軍慰安婦」の真実を知ってください
日米友好「桜祭り」& 韓国の主張「桜祭り起源」
在日外国人の「通名」の廃止を検討すべき!〜政治家の外国人献金問題〜
近代日本の偉大なる天皇陛下〜天皇は日本の宝物〜
〜沖縄の真実〜日本は内側から崩壊する…?
万が一の災害時 72時間自力で生き抜く知恵と家族の絆
アメリカの原発を見て感じたこと〜日本の原発の早急な再稼働を!




私たちの日本を護りたい!と思われた方は こちらをクリック ↓ して応援をお願いいたします。

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2012年04月08日

パラオ共和国『カープアイランド』での出会い


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



前回の記事の続編です。

  関連過去記事はこちら ↓ をご覧下さいね。
   結婚10周年〜あなたに出会えて良かった〜   
   友好の国「パラオ共和国」と英霊


えいと@夫妻が出会ったのはパラオ共和国のカープアイランドという島です。


  Palauisland50.jpg
     画像はこちらのHPよりお借りしました。


この赤い丸 ↑ がカープアイランドです。


このカープアイランドは 日本人の方が所有している島で、


所有者の岸川氏が 野球の広島カープファンということでカープという名を島に付けたのだそうです。


そのカープアイランドの周辺は スキューバダイビングをするには素晴らしい環境が整っているのです。


魚影がものすごく濃いブルーコーナーや、太陽の光が美しいブルーホール、マンタよく現れるシャーマンチャネルなど、


中級以上のダイバーには嬉しいダイビングポイントがいっぱいあるんですね。


流れが速いポイントが多いので 初級のダイバーには難しいこともあって、


ダイビング経験を50本以上経験を積んだら パラオのカープに潜りに行こう〜♪


…というのがダイバー達の合い言葉でした。




こちら ↑ はカープ周辺の海の様子です。


こんな海でしたよ。うんうん、そうそう、こんな感じ。



カープアイランドは離れ小島で、ほとんどがダイビング目的のお客さんで占められている島で、


首都のコロールから かなり離れているので、


5日間〜10日間くらい カープアイランドリゾートに滞在して ダイビングを楽しむというツアーがたくさん組まれていました。


つまりカープアイランド滞在中は 島から出ないわけです。


なので、カープにやって来たお客さんは 滞在中、ダイビングも食事もずーっと一緒なんですね。


夜はみんなで集まってゲームをしたり、ビールを飲んで語り合ったり…。


夕陽や満天の星空を桟橋で見つめたり…。


ふざけて桟橋から海に投げられたり…。(笑)


夜に海に投げ込まれたら けっこう寒いし、シャワーは水だし大変でしたよー。


あぁ〜でも あの頃は楽しかった〜。なつかしいなぁ〜〜〜。


そうそう。ここね、カープアイランドリゾートって名前の宿泊施設だけど、


ぜんぜん豪華なリゾートではないんですよ。


すべて手作りの小屋のような建物なんです。


先ほども書いたように、お湯じゃなく水のシャワーだったし。


しかも海水! 真水じゃないんです、塩水でシャワーするんです。


これはけっこうきつかったですね〜。(笑)


今でもそうなのかなぁ〜?




こちら ↑ にカープアイランドリゾートに行かれた方が撮影された動画があります。


2011年…だから、去年ですね。


あまり…というか全然変わってない気がしますねー。


カヌーは 18年前にはなかったですけどね。


あぁ…それにしても…なつかしぃ〜〜〜。



ところで、出会った頃のえいと@夫の第一印象は…。


それはなんつー生意気なやっちゃ…!…でした。(爆)


だってね、そのとき、まだ10代の若造だったワケですよ。


なのに世の中み〜んなわかってます〜みたいに生意気なこと言うんですもん。


で、えいと@夫の私の印象は…。


よーしゃべる うるさいオンナやな〜だったそうです。(笑)


お互い第一印象は最悪でございましたー。わはは。



ところでね、えいと@夫って霊感が強い人間なのですよ。


今は忙しいせいか、だいぶ霊感が薄れてきているみたいですけど、


若い頃は 霊がしっかり見えるほど、霊感が強かったんですね。


で、私のことうるさいオンナとは思ったのと同時に、


私が えいと@夫の人生に絡んできそうな気配がしたそうです。


うーむ…。当たってた…ってことですねぇ〜。



で、数日間、一緒に過ごし、


別れる際に住所や電話番号の交換を行ったんですね。


今だったら…携帯番号を教えたり、メルアドの交換をする感じですね。


18年前は携帯電話もインターネットも普及してない時代なので、


住所と電話番号を教えあうってワケです。(笑)


時代は変わるもんですねー。(笑)


多くの場合、住所や電話番号を教えあっても、何度かやり取りしたら そのうち自然に連絡をしなくなるものなのですが、


えいと@夫とはけっこう長い間連絡をしあっていたのです。


その頃えいと@夫は東京に住んでいたのですけど、


実家が大阪にあり、里帰りする時には私に必ず連絡をしてきたのですね。


里帰りの際に会って食事をよくしたんですけど、付き合う…ほどの仲にはなっていませんでした。


で、数年後に関西の大学に合格し、えいと@夫が関西に引っ越してきたことで、


付き合うようになったのでありました。


いやはや、今、考えたら不思議な感じがします。


こういうのがご縁があったということになるのでしょうね。



ところで、前回の友好の国「パラオ共和国」と英霊の記事に書いたように、


このあたりは先の戦争時に 米軍との死闘があった場所なんですね。


今でも祖国に戻れていない多くの英霊がいらっしゃいます。


遺骨もまだまだ残されたまんまなのです。


皆さま、ご存知でしょうか。


パラオの遺骨収集のボランティアのことを…。


東条英機閣下のお孫さんである東條由布子氏が呼びかけて行われているものです。
 東條由布子の「凛として愛する国に」


去年は11月に行われていたようです。今年は…いつ行われるのでしょう…?


志しのある方は…ぜひ参加していただきたいと思います。
  

私たち夫婦も いつか参加したいと思っています。


そして…パラオに遊びに行かれる方は、ぜひ歴史を勉強して訪れて欲しいな…と思います。


前回の記事に書いたように、若い頃の私は歴史を何も知らない状態でパラオに行きました。


英霊がおられる洞窟に入り込んで 無邪気に写真を撮ったりしたのです。


その写真にはたくさんの霊が写り込んでいたわけですが、


私はその霊を怖いと感じ、写真を処分してしまったわけです。


前回の記事供養したんだから 英霊はきっと喜んでおられるから、自分を責めないでもいいという優しいコメントをいただきました。


ありがとうございます。うるうる。


でもね、供養したのではないんです、除霊したんですよ。


英霊に安らかに眠っていただくように願い、供養をしたのではなく、


怖がっている自分のために 除霊をしたのです。(涙)


本当に…なんと申し訳ないことをしたのか…と。


無知であるとはこういうことなのだ…と 思い知らされました。



霊感の強かった えいと@夫がパラオから日本に戻る時、


霊が自分についてきたことを感じたそうです。


悪い霊ではないと理解したえいと@夫は、


「日本に着くまでは付いて来てもいいが、成田に着いたら離れて欲しい」


…と、心の中で霊に話しかけたのだそうです。


すると成田に到着した後に ついて来ていた数人の霊が えいと@夫から離れるのを感じたそうです。


日本に戻ることができた霊は きっと喜ばれたことでしょう。


いや、もしかしたら…今の日本の状況を見て悲しんておられるかもしれませんけどね…。



パラオ共和国に遊びに行かれる方にお願いです。


ぜひ日本とパラオ共和国の歴史を知って 遊びに行ってください。


そして、パラオに到着した時、去る時に手を合わせて欲しいと思います。


英霊は待っておられます。


日本人みんなが パラオに眠っている英霊の存在を知ってくれることを…。


いつの日か、日本の国に英霊全員が戻れる日が来ることを…。




次回は、日本とパラオ共和国の戦後の絆について お話ししたいと思います。


良かったらまた読みにお越し下さいね♪




    【お知らせ】

いつも温かいコメントをありがとうございます。

お返事が遅れています。申し訳ありません。

必ずお返事をいたしますので、もうしばらくお待ちくださいませ。

今後もよろしくお願いいたします。




  今日も読んで下さってありがとうございました! 
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2012年04月05日

友好の国「パラオ共和国」と英霊


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



前回の記事の続きです。

 前回の記事はこちら ↓ をご覧下さいね♪
   結婚10周年〜あなたに出会えて良かった〜


えいと@夫妻は18年前に ある国で出会いました。


そのある国とは…。


パラオ共和国という国です。


皆さま、ご存知でしょうか…?


パラオ共和国は 日本と大変関わりの深い国であるということを…。



さて、こちらの国旗 ↓ をご覧下さい。

  PalauKyouwakoku.jpg


どこかの国旗に似ていると思われませんか…?


ところで、パラオ共和国ってどこにあるのでしょうか?


こちらの地図 ↓ をご覧下さい。

   PalauKyouwakoku2.jpg
      画像はこちらのHPよりお借りいたしました。


パラオ共和国は 日本の真南に位置する小さな島でできた国です。


この小さな国が 日本とどんな関わりがあるのかを、


皆さまはご存知でしょうか…?


こちらの動画 ↓ をぜひ ご覧下さい。


   日本とパラオ・ペリリュー島のお話(7分10秒)

   〜〜〜動画書き起こし ここから〜〜〜

大正8年(1919年)に対ドイツ講和条約(ベルサイユ条約)が結ばれ、
日本はパラオを含むドイツ領南洋諸島の委託統治権を得ました。

日本はたくさんの移民をこの地に送り、
公共学校や医療施設を造り、稲作やパイナップルの生産を促しました。

パラオのハイスクールで使われている歴史教科書には、こう記されています。


日本の教育の刮目すべき効果のひとつは、
授業の成績を重視することであった。
生徒がどの氏族に属し、どんな身分なのかは無関係であった。
日本人であろうと、先住者であろうと平等に、
努力したものを評価していた。


太平洋戦争のとき、パラオのペリリュー島には 日本軍の陣地が作られました。
老人は村の若者達と共に その作業に参加しました。
日本兵と仲良くなって、
日本の歌を一緒に歌ったりしたといいます。

しかし、平和な日々は長く続かず、
次第に戦況は日本に不利になり、米軍は対日包囲網を圧縮してきました。

ハルゼー大将が指揮する第三艦隊、約八百隻の艦艇、
総兵力四万二千が この地にやってきたのです。

これに対するペリリュー島を守備する日本軍は、
水戸の第十四師団座下の歩兵、第二総体を主力とした地区隊(隊長・中川州男大佐)一万二千。

日本軍はペリリュー島が壮絶な戦場になることを発見し、
船舶の乏しい中、民間人を犠牲にしてはならぬという判断により、
ペリリュー等民の強制疎開の実地を決定します。

しかし、島民は仲間達と話し合い、代表数人と共に、日本の守備隊長のもとを訪れました。

「自分たちも一緒に戦わせて欲しい」

島民代表のその言葉を聞くなり、隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」


日本人は仲間だと思っていたのに…見せかけだったのか…

島民達は裏切られた想いで、皆、悔し涙を流しました。

そして、空襲を避けるために、夜に行われた強制疎開。
日本兵は誰一人に送りに来ない。
悲しみと悔しさに打ちのめされた村の若者達は、悄然と船に乗り込みました。

しかし、船が島を離れた瞬間、
日本兵全員が浜に走り出て来ました。
そして、一緒に歌った日本の歌を歌い長良、手を振って彼らを見送ったのです。

戦闘には笑顔で手を振るあの隊長がいた…。


その瞬間、彼らは悟ったのです。
あの言葉は、自分たちを救うためのものだったのだと…。

そして42000対12000。

兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍。
圧倒的劣勢の戦いが始まります。

すでに制海、制空権を手にしている米軍は、
狭い小島に絨毯爆撃と艦砲射撃。
9月15日、航空母艦を含む機動部隊を背景に上陸作戦を敢行。

2度まで何とか上陸を阻止するも、
米軍の圧倒的物量にはやはり耐えられず、
3度目には上陸されてしまいます。

上陸を許してからは5百の洞窟にこもって持久戦に移り、
連日連夜の工房が続きます。

しかし、弾丸や食料の補給が途絶えた日本軍に望みは薄く、
成す術もなく、
死傷者は増えていきました。

11月24日、
健在者は僅か50数名にまで減ってしまった日本軍は、
いよいよ全軍玉砕を覚悟しました。

中川大佐、村井健治郎少尉、飯田義栄中佐、
三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。

三人の最後に続けと、最後の決死隊が組織され、
根本甲子郎大尉以下、
傷だらけの55名は、夜の闇に向かって突撃して行きました。

軍旗も機密書類も消却したことを意味する最後の電文、

「サクラ・サクラ」
これがパラオ本部に届いたのは24日目の16時でした。

この六文字の電文は、
ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味しました。

圧倒的に優位な米軍は、
この島を3日間で制覇できると目論んでいました。
しかし、日本兵は実に73日間も持ちこたえました。

そして戦いが終わり、疎開からペリリュー島に帰ってきた島民達は、
その光景に愕然としました。

島一帯に散乱する日本兵の死体、
共に暮らし、共に歌い、同じ釜の飯を食べたモノ達の無惨な姿。

そして、日本兵には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理するアメリカ兵。

島民達は涙を流し、こぞって日本軍の兵士達の遺体を埋葬したといいます。

この島を訪れる諸々の国の旅人達よ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えて欲しい。
この島を死んで守った日本軍守護隊の勇気と祖国を思うその心根を…。


そう、

パラオの国旗は日本という国に敬意を表し、
日本国旗「太陽」に照らされて養生に輝く「満月」を表したもの
なのです。

満月を旗の中心に置くとあまりにも日本に似過ぎていて失礼に当たると、
満月は少しずらしてデザインされています。


このことを日本人は忘れてはいけないでしょう。


あなたはこの話を知っていましたか…?


1995年、パラオ独立一周年の年、
各国が祝辞を送る中、

日本だけは何も送りませんでした。

何より日本を愛し、尊敬したパラオの中村大統領は、
悲しみと怒りに手が震えました。


過去の日本は犯罪者であり、
中国や朝鮮に謝罪し、賠償すべきと声だかに言うが、
本当に避難すべきは、
そういったことを口にする者。
それを受け入れてしまう現代日本人なのだと思います。


私は過去の日本人を誇りに思う。
そして、先人に恥じないよう、今の日本を変えて行こうと思う。


                 〜〜〜書き起こし ここまで〜〜〜


1995年、パラオ独立一周年の年の 日本の総理大臣は誰であったか…。


旧社会党の村山富市氏ですよ…。


歴史的なイデオロギーから 友好国であるパラオ共和国に対し独立のお祝いをしなかったのです。


何と情けなく、恥ずかしいことをしてくれたのでしょう…!


先日、東北大震災一周年追悼式典で 台湾代表が指名献花ができなかったということがありましたね。
   台湾への非礼 日本人として恥ずかしい(産經新聞)


これ ↑ と同じくらい非礼なことを パラオ共和国にやったのです! 


村山富市元総理は…!(怒)


反日左翼が政権をとると、こんな失礼なことを平気でするんですよ…。


国益を大きく損なうばかりです。


我々はこのことを絶対に忘れてはなりません。



さて。


動画の中で説明されていた パラオ共和国の国旗 ↓

  PalauKyouwakoku.jpg


そして、こちらが我が国,日本の国旗、日の丸 ↓ です。

  nisyouki1.jpg


本当に…そっくりですよね。


こちらのサイト ↓ で日の丸を元にしたパラオの国旗と題して 詳しく説明されています。
   日の丸を元にしたパラオの国旗

   〜〜〜一部転載〜〜〜

1994年,パラオはアメリカから独立した.独立にあたり国旗を制定することになり,
国民の間から一般公募した結果,日の丸をもじった今のデザインに決まったというわけである.
ただし,パラオの国旗の満月は,日の丸の旗の太陽とは違って,中心から少しズレている.日本に失礼だからと,わざと中心をはずしたのだそうだ.
これはパラオの人たちの慎み深い態度をよく表している.
パラオの国旗は,日の丸は侵略のシンボルなどではないこと,
かつて日本の統治下にあった国で,日本の日の丸を模した国旗がつくられるほど,戦前の日本と日本人はアジアの人たちから尊敬されていたことを教える実物教材である.


                   〜〜〜転載ここまで〜〜〜


前回の記事に書いたように、えいと@夫妻は今から18年前にパラオ共和国で出会いました。


なぜパラオ共和国に行ったのか…ですが。


ご存知のようにパラオはスキューバダイビングのメッカなのです。


えいと@夫も 私も、昔からスキューバダイビングを趣味として持ってたのですね。偶然ですけど。


私は友人とスキューバダイビングをしに5回ほどパラオに行ったのですが、


その時に一人でダイビングに来ていた えいと@夫と出会ったってわけなんです。


で、その当時私は日本の近代史など ちっとも知らず、


パラオのペリリュー島で 米軍との死闘があったことも知らず、


無邪気にパラオにダイビングを楽しみに行っておりました。


もちろん、えいと@夫はその頃からパラオ共和国はどんな国で、ペリリュー島で何があったのかを知っていました。


10代の若造だったのに…。今、考えると驚くばかりです。


ダイビングの合間にジャングル探検などにも参加したのですが、


歴史を何にも知らない私は、洞窟に入り無邪気に写真など撮っておりました。


そこに…いたんです…。


洞窟の中に、霊が…。


写真に写っていたのです。たくさんの霊が…。


あの霊は 日本を守るために戦ってくださった英霊だったのですね。


なのに…。


私は…。


私ったら洞窟で写した写真を見て、怖く感じてしまったのですよ。


そしてその写真の除霊を行い、写真を処分してしまいました。


あとで、えいと@夫からペリリュー島での日本軍の戦いのことを聞かされ、


どんな思いで戦っておられたのかを思うと…、


戦争が終わって何年も経ってるのに、まだ祖国日本に帰れずに霊としてパラオにとどまっておられるのかと思うと…、


何と申し訳ないことをしてしてしまったのかと…。


後悔でいっぱいです。


あぁ、ダメだ…。


涙が出てきた。


この続きは、次回に書きますね。


良かったら、私の話をまた聞きにきてくださいね…。




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2011年10月08日

一足お先に紅葉狩りへ♪ &ショボーン・ダンス【ショボン】


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



PA州リーハイバレーエリアは快晴ですっ!


今日はとーってもいいお天気で お出かけ日和でございます。


太陽の光が気持ちいい〜♪


こんな日はお出かけしないとね。


朝からはりきってお弁当を作りましたよー!


えいと@夫妻の自宅から車で1時間ちょっと走ったところにマウント ポコノっていう山があるんです。


ポコノ山の紅葉がきれいに色づいてきているそうなんですね〜。


…というわけで、紅葉狩りに行ってまいります♪


楽しみです〜♪



     【おまけ】

いつも温かいコメントをありがとうございます。


コメントのお返事が遅れております。ごめんなさい。。。


紅葉狩りから戻りましたらお返事をさせていただきますね。


そのおわびといっちゃ何ですが。


こちらの動画 ↓ をご覧になってください。(1分8秒)



こちらのブロガーの方が紹介されてたんですよー。


もうむっちゃかわいいんですー。


曲はブラームス「ハンガリー舞曲第5番」 指揮はライナー、オーケストラはピッツバーグ交響楽団です。


曲がスローになる時、しょぼ〜んってなるんですけど、


その後に「きりっ」(`・ω・´) って変化する時がめっちゃキュート♪


このしょぼ〜んクン、まさしく日本人!ですね!


普段は お気楽ノーテンキ、


ショッキングなことが起こったり打ちのめされちゃったり、


誰か(外国)にいじめられるとショボ〜ンとなっちゃうしょぼんクンだけど、


いざとなったらキリッ!(`・ω・´) となって頑張る!


最後には仲間がいっぱい しょぼんクン♪


あぁ〜日本人だぁ〜〜〜って思いました。


皆さまはどんな風に感じられたでしょうか???


ぜひ、ご覧になってくださいね♪




それではまた〜。。。(⌒ー⌒)ノ〜〜〜



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