2012年04月02日

結婚10周年〜あなたに出会えて良かった〜


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



先月の3月24日、結婚10周年を迎えました。


24日 当日は えいと@夫が忙しく、その後は私の体調がイマイチ(頭痛がひどかったのです…)で お祝いをできなかったのですが、


昨日、イタリアンレストランに行ってお祝いの食事をしてまいりました。


食事をしながら…昔のことを話しました。


私たちが出会った時のこと…。


そして,結婚するまでのこと、結婚してからのこと…。


いろいろ話をいたしました。



私たちが出会ったのが18年前、


その時は結婚するとは夢にも思わなかったし、


付き合うことすら想像しなかった…。


だって…当時、えいと@夫は関東、私は関西に住んでいたし、


年齢も離れていたし…。


付き合う対象では全くなかった二人だったのです。


それが、出会ってから4年目で付き合い始め、その後、4年間付き合って結婚した私たち。


j-kinenbi1.jpg


実は…私は 若い頃は結婚しなくてもいい…と考えていた人間でした。


仕事が面白かったし、毎日が充実してたし。


そこそこいいお給料をもらっていたし。


男に頼らなくても生きていけるさ…って思っていた 生意気なオンナでありました。


でも、えいと@夫と付き合っているうちに、少しずつ変わっていったのです。


えいと@夫といっしょにいるのが楽しくて、離れると寂しくて…。


誰かと一緒に生きるってのもいいかも…って思うようになりました。


えいと@夫は…、


早くに両親を亡くしていたこともあって、安らげる家族が欲しかったのかもしれません。


付き合って2年目で結婚の話が出たんですが、その時、えいと@夫はまだ大学の2年生。


いくら私が働いていたからとはいえ、大学の学部生時代に結婚は…ね。


いくら何でも若すぎる…という周りの反対もあったこともあって、2年間待ちました。


そして、2年後の2002年3月24日に結婚式を挙げました。


j-kinenbi2.jpg


10年前の えいと@夫妻 ↑ です。若かったなぁ〜、あの頃は…。(トオイメ)



ところで、何度か記事に書いていますが、


私は若い頃は左巻きな人間でございました。


それを矯正してくれたのは、えいと@夫です。


付き合っているとき二人の意見が全く合わず、何度もケンカになりましたねぇ。


実際に考えが合わず 付き合いを解消したこともありましたし。


どうやって寄りが戻ったのか…? 覚えてないんですけどね。(苦笑)


右と左、まったく考えが違うのに、結婚してしまった私たち。(笑)


そして…。


結婚後、だんだん私の考えが変化していったのです。


えいと@夫と話していると…私の考えの方がおかしいことに気がつき始めたのです。


私の考えの方が 辻褄が合わないことが多かったんですね。


悔しかったですよ〜。


だって議論すればするほど、私の意見はこっぱみじんに論破されてしまうのですから…。


でも、今となってはえいと@夫に感謝しています。


もしえいと@夫といっしょにならなかったら、私は一生、左巻きな考えのまま生きていたでしょうしね。


先の戦争は侵略戦争であり、日本が悪かったと思い込んだまま人生を終えていたでしょう。


日本の素晴らしさに気がついて良かった。


日本の歴史を、正しい歴史を知ることができて良かった。


えいと@夫のおかげだと、


心からそう思っています。



18年前に出会い、10年前に結婚し、今の私たちがいる。


そして、今後もまた二人で年輪を重ねていくのですね。


今後はどんな人生が待っているんだろう…。


どんな人生でも一生懸命に生きることが大切ですよね。


私の役割、それは…、


えいと@夫を 精一杯支えることだと思っています。


えいと@夫には夢があります。


その夢に向かって羽を十分広げて羽ばたくことができるように、私はしっかりと支えていこうと思います。


c-ontario09-1.jpg



それにしても…。


人との出会いって不思議なものですね。


人生を共に生きることになる人との出会いってどうやって決まるんだろう…って。


出会った男女が「結婚しよう」って思うのは どういうきっかけがあってのことなんだろう…って。


いつも不思議に思います。


運命かなぁ…?


私たちが出会ったのも運命なのかなぁ…と思うことがあります。


私たちが出会った場所、それはパラオ共和国。


日本ととても関わりの深い パラオ共和国で 私たちは出会いました。


次回はパラオ共和国について、記事にしたいと思います。


良かったら見にお越し下さいね♪




   Anniversary ☆松任谷由実 <歌詞付き>(4分36秒)




それではまた〜。。。(⌒ー⌒)ノ〜〜〜



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posted by えいと@ at 06:27| Comment(42) | TrackBack(0) | アメリカ的生活(イベント編) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

友好の国「パラオ共和国」と英霊


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



前回の記事の続きです。

 前回の記事はこちら ↓ をご覧下さいね♪
   結婚10周年〜あなたに出会えて良かった〜


えいと@夫妻は18年前に ある国で出会いました。


そのある国とは…。


パラオ共和国という国です。


皆さま、ご存知でしょうか…?


パラオ共和国は 日本と大変関わりの深い国であるということを…。



さて、こちらの国旗 ↓ をご覧下さい。

  PalauKyouwakoku.jpg


どこかの国旗に似ていると思われませんか…?


ところで、パラオ共和国ってどこにあるのでしょうか?


こちらの地図 ↓ をご覧下さい。

   PalauKyouwakoku2.jpg
      画像はこちらのHPよりお借りいたしました。


パラオ共和国は 日本の真南に位置する小さな島でできた国です。


この小さな国が 日本とどんな関わりがあるのかを、


皆さまはご存知でしょうか…?


こちらの動画 ↓ をぜひ ご覧下さい。


   日本とパラオ・ペリリュー島のお話(7分10秒)

   〜〜〜動画書き起こし ここから〜〜〜

大正8年(1919年)に対ドイツ講和条約(ベルサイユ条約)が結ばれ、
日本はパラオを含むドイツ領南洋諸島の委託統治権を得ました。

日本はたくさんの移民をこの地に送り、
公共学校や医療施設を造り、稲作やパイナップルの生産を促しました。

パラオのハイスクールで使われている歴史教科書には、こう記されています。


日本の教育の刮目すべき効果のひとつは、
授業の成績を重視することであった。
生徒がどの氏族に属し、どんな身分なのかは無関係であった。
日本人であろうと、先住者であろうと平等に、
努力したものを評価していた。


太平洋戦争のとき、パラオのペリリュー島には 日本軍の陣地が作られました。
老人は村の若者達と共に その作業に参加しました。
日本兵と仲良くなって、
日本の歌を一緒に歌ったりしたといいます。

しかし、平和な日々は長く続かず、
次第に戦況は日本に不利になり、米軍は対日包囲網を圧縮してきました。

ハルゼー大将が指揮する第三艦隊、約八百隻の艦艇、
総兵力四万二千が この地にやってきたのです。

これに対するペリリュー島を守備する日本軍は、
水戸の第十四師団座下の歩兵、第二総体を主力とした地区隊(隊長・中川州男大佐)一万二千。

日本軍はペリリュー島が壮絶な戦場になることを発見し、
船舶の乏しい中、民間人を犠牲にしてはならぬという判断により、
ペリリュー等民の強制疎開の実地を決定します。

しかし、島民は仲間達と話し合い、代表数人と共に、日本の守備隊長のもとを訪れました。

「自分たちも一緒に戦わせて欲しい」

島民代表のその言葉を聞くなり、隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」


日本人は仲間だと思っていたのに…見せかけだったのか…

島民達は裏切られた想いで、皆、悔し涙を流しました。

そして、空襲を避けるために、夜に行われた強制疎開。
日本兵は誰一人に送りに来ない。
悲しみと悔しさに打ちのめされた村の若者達は、悄然と船に乗り込みました。

しかし、船が島を離れた瞬間、
日本兵全員が浜に走り出て来ました。
そして、一緒に歌った日本の歌を歌い長良、手を振って彼らを見送ったのです。

戦闘には笑顔で手を振るあの隊長がいた…。


その瞬間、彼らは悟ったのです。
あの言葉は、自分たちを救うためのものだったのだと…。

そして42000対12000。

兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍。
圧倒的劣勢の戦いが始まります。

すでに制海、制空権を手にしている米軍は、
狭い小島に絨毯爆撃と艦砲射撃。
9月15日、航空母艦を含む機動部隊を背景に上陸作戦を敢行。

2度まで何とか上陸を阻止するも、
米軍の圧倒的物量にはやはり耐えられず、
3度目には上陸されてしまいます。

上陸を許してからは5百の洞窟にこもって持久戦に移り、
連日連夜の工房が続きます。

しかし、弾丸や食料の補給が途絶えた日本軍に望みは薄く、
成す術もなく、
死傷者は増えていきました。

11月24日、
健在者は僅か50数名にまで減ってしまった日本軍は、
いよいよ全軍玉砕を覚悟しました。

中川大佐、村井健治郎少尉、飯田義栄中佐、
三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。

三人の最後に続けと、最後の決死隊が組織され、
根本甲子郎大尉以下、
傷だらけの55名は、夜の闇に向かって突撃して行きました。

軍旗も機密書類も消却したことを意味する最後の電文、

「サクラ・サクラ」
これがパラオ本部に届いたのは24日目の16時でした。

この六文字の電文は、
ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味しました。

圧倒的に優位な米軍は、
この島を3日間で制覇できると目論んでいました。
しかし、日本兵は実に73日間も持ちこたえました。

そして戦いが終わり、疎開からペリリュー島に帰ってきた島民達は、
その光景に愕然としました。

島一帯に散乱する日本兵の死体、
共に暮らし、共に歌い、同じ釜の飯を食べたモノ達の無惨な姿。

そして、日本兵には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理するアメリカ兵。

島民達は涙を流し、こぞって日本軍の兵士達の遺体を埋葬したといいます。

この島を訪れる諸々の国の旅人達よ。
あなたが日本の国を通過することあらば伝えて欲しい。
この島を死んで守った日本軍守護隊の勇気と祖国を思うその心根を…。


そう、

パラオの国旗は日本という国に敬意を表し、
日本国旗「太陽」に照らされて養生に輝く「満月」を表したもの
なのです。

満月を旗の中心に置くとあまりにも日本に似過ぎていて失礼に当たると、
満月は少しずらしてデザインされています。


このことを日本人は忘れてはいけないでしょう。


あなたはこの話を知っていましたか…?


1995年、パラオ独立一周年の年、
各国が祝辞を送る中、

日本だけは何も送りませんでした。

何より日本を愛し、尊敬したパラオの中村大統領は、
悲しみと怒りに手が震えました。


過去の日本は犯罪者であり、
中国や朝鮮に謝罪し、賠償すべきと声だかに言うが、
本当に避難すべきは、
そういったことを口にする者。
それを受け入れてしまう現代日本人なのだと思います。


私は過去の日本人を誇りに思う。
そして、先人に恥じないよう、今の日本を変えて行こうと思う。


                 〜〜〜書き起こし ここまで〜〜〜


1995年、パラオ独立一周年の年の 日本の総理大臣は誰であったか…。


旧社会党の村山富市氏ですよ…。


歴史的なイデオロギーから 友好国であるパラオ共和国に対し独立のお祝いをしなかったのです。


何と情けなく、恥ずかしいことをしてくれたのでしょう…!


先日、東北大震災一周年追悼式典で 台湾代表が指名献花ができなかったということがありましたね。
   台湾への非礼 日本人として恥ずかしい(産經新聞)


これ ↑ と同じくらい非礼なことを パラオ共和国にやったのです! 


村山富市元総理は…!(怒)


反日左翼が政権をとると、こんな失礼なことを平気でするんですよ…。


国益を大きく損なうばかりです。


我々はこのことを絶対に忘れてはなりません。



さて。


動画の中で説明されていた パラオ共和国の国旗 ↓

  PalauKyouwakoku.jpg


そして、こちらが我が国,日本の国旗、日の丸 ↓ です。

  nisyouki1.jpg


本当に…そっくりですよね。


こちらのサイト ↓ で日の丸を元にしたパラオの国旗と題して 詳しく説明されています。
   日の丸を元にしたパラオの国旗

   〜〜〜一部転載〜〜〜

1994年,パラオはアメリカから独立した.独立にあたり国旗を制定することになり,
国民の間から一般公募した結果,日の丸をもじった今のデザインに決まったというわけである.
ただし,パラオの国旗の満月は,日の丸の旗の太陽とは違って,中心から少しズレている.日本に失礼だからと,わざと中心をはずしたのだそうだ.
これはパラオの人たちの慎み深い態度をよく表している.
パラオの国旗は,日の丸は侵略のシンボルなどではないこと,
かつて日本の統治下にあった国で,日本の日の丸を模した国旗がつくられるほど,戦前の日本と日本人はアジアの人たちから尊敬されていたことを教える実物教材である.


                   〜〜〜転載ここまで〜〜〜


前回の記事に書いたように、えいと@夫妻は今から18年前にパラオ共和国で出会いました。


なぜパラオ共和国に行ったのか…ですが。


ご存知のようにパラオはスキューバダイビングのメッカなのです。


えいと@夫も 私も、昔からスキューバダイビングを趣味として持ってたのですね。偶然ですけど。


私は友人とスキューバダイビングをしに5回ほどパラオに行ったのですが、


その時に一人でダイビングに来ていた えいと@夫と出会ったってわけなんです。


で、その当時私は日本の近代史など ちっとも知らず、


パラオのペリリュー島で 米軍との死闘があったことも知らず、


無邪気にパラオにダイビングを楽しみに行っておりました。


もちろん、えいと@夫はその頃からパラオ共和国はどんな国で、ペリリュー島で何があったのかを知っていました。


10代の若造だったのに…。今、考えると驚くばかりです。


ダイビングの合間にジャングル探検などにも参加したのですが、


歴史を何にも知らない私は、洞窟に入り無邪気に写真など撮っておりました。


そこに…いたんです…。


洞窟の中に、霊が…。


写真に写っていたのです。たくさんの霊が…。


あの霊は 日本を守るために戦ってくださった英霊だったのですね。


なのに…。


私は…。


私ったら洞窟で写した写真を見て、怖く感じてしまったのですよ。


そしてその写真の除霊を行い、写真を処分してしまいました。


あとで、えいと@夫からペリリュー島での日本軍の戦いのことを聞かされ、


どんな思いで戦っておられたのかを思うと…、


戦争が終わって何年も経ってるのに、まだ祖国日本に帰れずに霊としてパラオにとどまっておられるのかと思うと…、


何と申し訳ないことをしてしてしまったのかと…。


後悔でいっぱいです。


あぁ、ダメだ…。


涙が出てきた。


この続きは、次回に書きますね。


良かったら、私の話をまた聞きにきてくださいね…。




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2012年04月08日

パラオ共和国『カープアイランド』での出会い


皆さま、こんにちは、えいと@です。


今日もご訪問くださいましてありがとうございます♪ (o^∇^o)ノ



前回の記事の続編です。

  関連過去記事はこちら ↓ をご覧下さいね。
   結婚10周年〜あなたに出会えて良かった〜   
   友好の国「パラオ共和国」と英霊


えいと@夫妻が出会ったのはパラオ共和国のカープアイランドという島です。


  Palauisland50.jpg
     画像はこちらのHPよりお借りしました。


この赤い丸 ↑ がカープアイランドです。


このカープアイランドは 日本人の方が所有している島で、


所有者の岸川氏が 野球の広島カープファンということでカープという名を島に付けたのだそうです。


そのカープアイランドの周辺は スキューバダイビングをするには素晴らしい環境が整っているのです。


魚影がものすごく濃いブルーコーナーや、太陽の光が美しいブルーホール、マンタよく現れるシャーマンチャネルなど、


中級以上のダイバーには嬉しいダイビングポイントがいっぱいあるんですね。


流れが速いポイントが多いので 初級のダイバーには難しいこともあって、


ダイビング経験を50本以上経験を積んだら パラオのカープに潜りに行こう〜♪


…というのがダイバー達の合い言葉でした。




こちら ↑ はカープ周辺の海の様子です。


こんな海でしたよ。うんうん、そうそう、こんな感じ。



カープアイランドは離れ小島で、ほとんどがダイビング目的のお客さんで占められている島で、


首都のコロールから かなり離れているので、


5日間〜10日間くらい カープアイランドリゾートに滞在して ダイビングを楽しむというツアーがたくさん組まれていました。


つまりカープアイランド滞在中は 島から出ないわけです。


なので、カープにやって来たお客さんは 滞在中、ダイビングも食事もずーっと一緒なんですね。


夜はみんなで集まってゲームをしたり、ビールを飲んで語り合ったり…。


夕陽や満天の星空を桟橋で見つめたり…。


ふざけて桟橋から海に投げられたり…。(笑)


夜に海に投げ込まれたら けっこう寒いし、シャワーは水だし大変でしたよー。


あぁ〜でも あの頃は楽しかった〜。なつかしいなぁ〜〜〜。


そうそう。ここね、カープアイランドリゾートって名前の宿泊施設だけど、


ぜんぜん豪華なリゾートではないんですよ。


すべて手作りの小屋のような建物なんです。


先ほども書いたように、お湯じゃなく水のシャワーだったし。


しかも海水! 真水じゃないんです、塩水でシャワーするんです。


これはけっこうきつかったですね〜。(笑)


今でもそうなのかなぁ〜?




こちら ↑ にカープアイランドリゾートに行かれた方が撮影された動画があります。


2011年…だから、去年ですね。


あまり…というか全然変わってない気がしますねー。


カヌーは 18年前にはなかったですけどね。


あぁ…それにしても…なつかしぃ〜〜〜。



ところで、出会った頃のえいと@夫の第一印象は…。


それはなんつー生意気なやっちゃ…!…でした。(爆)


だってね、そのとき、まだ10代の若造だったワケですよ。


なのに世の中み〜んなわかってます〜みたいに生意気なこと言うんですもん。


で、えいと@夫の私の印象は…。


よーしゃべる うるさいオンナやな〜だったそうです。(笑)


お互い第一印象は最悪でございましたー。わはは。



ところでね、えいと@夫って霊感が強い人間なのですよ。


今は忙しいせいか、だいぶ霊感が薄れてきているみたいですけど、


若い頃は 霊がしっかり見えるほど、霊感が強かったんですね。


で、私のことうるさいオンナとは思ったのと同時に、


私が えいと@夫の人生に絡んできそうな気配がしたそうです。


うーむ…。当たってた…ってことですねぇ〜。



で、数日間、一緒に過ごし、


別れる際に住所や電話番号の交換を行ったんですね。


今だったら…携帯番号を教えたり、メルアドの交換をする感じですね。


18年前は携帯電話もインターネットも普及してない時代なので、


住所と電話番号を教えあうってワケです。(笑)


時代は変わるもんですねー。(笑)


多くの場合、住所や電話番号を教えあっても、何度かやり取りしたら そのうち自然に連絡をしなくなるものなのですが、


えいと@夫とはけっこう長い間連絡をしあっていたのです。


その頃えいと@夫は東京に住んでいたのですけど、


実家が大阪にあり、里帰りする時には私に必ず連絡をしてきたのですね。


里帰りの際に会って食事をよくしたんですけど、付き合う…ほどの仲にはなっていませんでした。


で、数年後に関西の大学に合格し、えいと@夫が関西に引っ越してきたことで、


付き合うようになったのでありました。


いやはや、今、考えたら不思議な感じがします。


こういうのがご縁があったということになるのでしょうね。



ところで、前回の友好の国「パラオ共和国」と英霊の記事に書いたように、


このあたりは先の戦争時に 米軍との死闘があった場所なんですね。


今でも祖国に戻れていない多くの英霊がいらっしゃいます。


遺骨もまだまだ残されたまんまなのです。


皆さま、ご存知でしょうか。


パラオの遺骨収集のボランティアのことを…。


東条英機閣下のお孫さんである東條由布子氏が呼びかけて行われているものです。
 東條由布子の「凛として愛する国に」


去年は11月に行われていたようです。今年は…いつ行われるのでしょう…?


志しのある方は…ぜひ参加していただきたいと思います。
  

私たち夫婦も いつか参加したいと思っています。


そして…パラオに遊びに行かれる方は、ぜひ歴史を勉強して訪れて欲しいな…と思います。


前回の記事に書いたように、若い頃の私は歴史を何も知らない状態でパラオに行きました。


英霊がおられる洞窟に入り込んで 無邪気に写真を撮ったりしたのです。


その写真にはたくさんの霊が写り込んでいたわけですが、


私はその霊を怖いと感じ、写真を処分してしまったわけです。


前回の記事供養したんだから 英霊はきっと喜んでおられるから、自分を責めないでもいいという優しいコメントをいただきました。


ありがとうございます。うるうる。


でもね、供養したのではないんです、除霊したんですよ。


英霊に安らかに眠っていただくように願い、供養をしたのではなく、


怖がっている自分のために 除霊をしたのです。(涙)


本当に…なんと申し訳ないことをしたのか…と。


無知であるとはこういうことなのだ…と 思い知らされました。



霊感の強かった えいと@夫がパラオから日本に戻る時、


霊が自分についてきたことを感じたそうです。


悪い霊ではないと理解したえいと@夫は、


「日本に着くまでは付いて来てもいいが、成田に着いたら離れて欲しい」


…と、心の中で霊に話しかけたのだそうです。


すると成田に到着した後に ついて来ていた数人の霊が えいと@夫から離れるのを感じたそうです。


日本に戻ることができた霊は きっと喜ばれたことでしょう。


いや、もしかしたら…今の日本の状況を見て悲しんておられるかもしれませんけどね…。



パラオ共和国に遊びに行かれる方にお願いです。


ぜひ日本とパラオ共和国の歴史を知って 遊びに行ってください。


そして、パラオに到着した時、去る時に手を合わせて欲しいと思います。


英霊は待っておられます。


日本人みんなが パラオに眠っている英霊の存在を知ってくれることを…。


いつの日か、日本の国に英霊全員が戻れる日が来ることを…。




次回は、日本とパラオ共和国の戦後の絆について お話ししたいと思います。


良かったらまた読みにお越し下さいね♪




    【お知らせ】

いつも温かいコメントをありがとうございます。

お返事が遅れています。申し訳ありません。

必ずお返事をいたしますので、もうしばらくお待ちくださいませ。

今後もよろしくお願いいたします。




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2012年04月11日

日本とパラオ共和国との絆


皆さま、こんにちは、えいと@です。


本日もご訪問くださいましてありがとうございます。



親日国、パラオ共和国の続編です。

 関連過去記事はこちら ↓ をご覧下さいね。
  友好の国「パラオ共和国」と英霊
  パラオ共和国『カープアイランド』での出会い



日本の真南に位置する小さな島、パラオ共和国という国は、


大正時代から日本と深い関わりのある、大変な親日国であります。


先の戦争では ペリリュー島で日本軍と米軍の死闘が繰り広げられ、


日本軍は全滅いたしました。


米軍がペリリュー島を占領した後、米軍は戦死した仲間(米兵)の遺体を整理していきましたが、


日本兵の遺体には見向きもしなかったといいます。


その日本兵の遺体を埋葬してくれたのが…


現地のパラオの人々であったのです。


パラオの人々は 涙を流しながら日本兵の遺体を丁寧に埋葬してくれたそうです。



そして…国旗です。


こちらが我が国,日本の国旗、日の丸 ↓ です。

  nisyouki1.jpg


そして…こちらがパラオ共和国の国旗 ↓ です。

  PalauKyouwakoku.jpg


日本を尊敬し、日本に親しみを持っているからこそ、


日本の国旗、日の丸と似たデザインが パラオ共和国の国旗のデザインに採用されたのですね…。



さて、パラオ共和国にはライフラインとなっている重要な橋があります。


その橋がこちら。↓


 Palauhashi5.jpg
    画像はすべてこちらのサイトよりお借りいたしました。


この橋 ↑ は 実は日本製なのです。


橋の名前は「Japan−Palau Friendship Bridge」(日帛友好橋)


この橋が完成したのは2002年1月のことでした。


今からほんの10年前の出来事です。


え? それまではいったいどうしていたの…?


小さい島が集まった国であるため、橋は流通などで重要なはずなのに、


2002年まで橋がなかったの…?


…って思われましたか?


違うんです。実はあったんです。


KBブリッジ (Koror-Babeldaob Bridge) と呼ばれる橋 があったんです。


橋はあったのですが…。


1996年に橋がまっぷたつに折れる事故があり、崩落してしまったのですね。


その橋がこちらです。↓


 Palauhashi1.jpg


こちらが その橋 ↑ です。この橋は韓国製なのですね。


1977年に韓国の建設会社により建設されたコンクリート製の橋でした。


しかし…この橋は1996年9月26日午後5時35分頃、轟音と共に 突如中央部から真っ二つに折れて崩落してしまったのだそうです。


まっぷたつに折れて崩壊した橋は こんな状態 ↓ でありました。


 Palauhashi2.jpg

 Palauhashi3.jpg


私は5回ほどパラオ共和国にダイビングに行ったことがあるのですが、


そのうちの一回がこの橋の崩落事故の直後だったんですね。


なのでこの事故後の橋の様子を 実際にこの目で見ているんですよ…。


橋の途中に止まっている赤い車も見ましたよ…。


よく覚えています。。。


何ともむごい風景が展開されておりました…。


この事故は交通量の少ない時間帯に起こったため、


大きな被害は出ませんでしたが、それでも2名の死亡、4名の負傷者が出たそうです…。



この橋ができるまでは船のみが流通の手段であったのですが、


橋が完成して以降、橋は流通や交通手段の他、ライフラインの要としての役割があったのです。


橋にバベルダオブ島からコロールへ供給されていた電気、水道、電話などのライフラインが通っていたのですね。


なので、この崩落事故で、パラオの首都機能が 全部麻痺状態になってしまったのですね…。


こんなことを言うのは何ですが…。


韓国企業が手がけた工事は ずさんなものが多いのです。


「マレーシアの象徴」と言われている「ペトロナスタワー」の傾きや、


韓国国内での 地震も起こっていないのに突然ビルが崩壊する等、


韓国では建築技術に関しては問題が多いようなんですね…。

   http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/584.html
   http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-2924.html



さて、日本が建築した橋ですが。


パラオ政府が財政的な理由から自国の資金による建設を断念したため、


1997年に日本の無償援助による橋の再建を決定し、鹿島建設によって再建されたのです。


それが、はじめに紹介した日本・パラオ友好の橋(通称:日帛友好橋)↓ なのです。

 Palauhashi5.jpg


何と美しい橋なのでしょう。


   Palauhashi7.jpg


この新しい橋のそばに建立された碑文 ↑ には、


日本とパラオ親善の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)と刻まれ、


日本とパラオ共和国 両国の国旗も描かれています。


 Palauhashi6.jpg


こんな風 ↑ に日本に感謝する看板も設置されているんです。


それだけではありません。


 Palauhashi8.jpg


2012年1月に 日本・パラオ友好の橋 10周年の記念切手が発行されたのだそうです。


嬉しいではありませんか…。



そして、まっぷたつに折れて崩落してしまった 旧KBブリッジに関しては、


かつて韓国により造られた橋があったことを示す碑があるそうですが…。


 Palauhashi4.jpg


誰がやったのかはわかりませんが、こんな風 ↑ に「KOREA」の文字が削り取られて消されているのだそうです。


何だかね…お里が知れる…っていうか…。(呆)



我が国 日本は、戦後、経済大国に発展しました。


そして多くの国に 経済や技術の援助や協力を行っています。


その中にはこんな風に 日本の援助に感謝してくれる国があるのです。


日本とパラオ共和国は 戦前から現在に至るまで ずっと深い関わりのある国なのですね。


私たち日本人は もっと歴史を知る必要があると思います。


戦前、戦中、そして戦後〜現在に至るまで、


悪い部分だけでなく、また 良い部分だけでもなく、


しっかりと日本という国を見つめる必要があると思います。


その日本が今、大きく揺れ動いているということも、


今を生きる 我々はしっかり見つめ、発言していく必要があると、私は思います。




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2012年04月13日

言論の自由を守ろう〜「人権救済機関設置法案」を阻止!


皆さま、こんにちは、えいと@です。


本日もご訪問くださいましてありがとうございます。



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        画像はネット上からお借りしました


過去記事で何度か取り上げている人権侵害救済法案(人権擁護法案)ですが…。

 関連過去記事はこちら ↓ をご覧下さい。
なぜ今「人権侵害救済法案」なのか? 言論の自由を守るためにも この法案を許してはならない!


自民党政権時代から何度も取り上げられては廃案になってきた法案なのですが…。


なぜ何度も廃案になっているか、というと あまりにも問題が多い法案だからなんですね。


しかし何としても この法案を成立させたい人間がいるために、


何度でもゾンビのように甦っているのです。


そして、また…今度は人権救済機関設置法案と名称を変えて出てまいりました。


人権救済機関設置法案、20日閣議決定で調整
差別や虐待による人権侵害の是正を図るための人権救済機関「人権委員会」を法務省の外局として設置するための「人権救済機関設置法案」について、
法務省が今月20日の閣議決定を目指し関係機関と調整していることが2日、分かった。
同省は今国会での成立を目指すが、民主党保守系議員らは「人権侵害」の定義が曖昧で拡大解釈により憲法が保障する「言論・出版の自由」が侵害される恐れがあるうえ、
消費税増税法案をめぐる党内の混乱に紛れて提出しようとしていると反発、閣議決定阻止に向けた動きを始めようとしている。

深刻な人権侵害がある事案については刑事告発できる強力な権限を与えた。
当事者間の調停や仲裁を実施し、重大な人権侵害に勧告を行うことも盛り込んだ。
人権擁護委員については日本国籍の有無については明確に触れておらず、
かりに永住外国人に地方参政権が付与されれば、外国人も就任できるようになる余地を残している。

   人権救済機関設置法案、20日閣議決定で調整


この法案の恐ろしいところは…


言いたいことが言えなくなってしまう社会を作り上げるということなのです。


この法案の恐ろしさは次の通り ↓ です。

正当な批判さえ差別と取られる可能性がある。

差別の基準が非常にあいまいで、人権委員会だけの判断で罰せられてしまう可能性がある。

国籍条項を設けない人権局の設置により、同じく国籍条項を設けない個人の「通報制度」を設けることにより国民個人の言動や、ひいては 公の言動までのすべてが監視対象となる。

人権委員会の行動を監視、抑制する機関が存在しないので不当に訴えられ処罰されても泣き寝入りになる可能性がある。

インターネットを潰す事によるマスコミの情報操作能力の向上が考えらる。
そしてマスコミの曲解報道に一切対抗できなくなる可能性もある。(マスコミの情報規制ができるので議員の汚職及び犯罪隠蔽が容易になる)

何が差別と取られるかわからないので使える表現が減る。
その結果、アニメ、漫画、ゲーム、小説、映画、テレビ、お笑い、音楽、ドラマの衰退が考えられる。(当たり障りのないものしか作れなくなる)

特定の人権を過剰に守るという事はそれ以外の人権を踏み躙る事に繋がる。


この法案を通したくてたまらないのが、現在の与党、民主党なんです。


その他には社民党や公明党ですね…。



過去記事にも書いておりますが、


現在の人権侵害事案、年間2万件のうち99%は現行の法案で解決されているそうです。


現行にある法案で個別に対応できるのに、なぜこういう問題の多い法案を早急に成立させる必要があるのかということなんですよ。


いじめやDV、高齢者虐待があるじゃないか…って?


確かにいじめやDV、高齢者虐待などは大きな問題です。


しかしいじめやDVが本当に人権侵害なのかを判定するのは非常に難しいのではないでしょうか?


いろんな事情があるのに一方の言い分だけで人権侵害を判定され、処罰を受けることにつながるわけです。


同じことでもAさんにとっては差別、人権侵害だと感じることでも、Bさんにとってそうではないと感じることがあるのです。


それを国籍条項のない 強力な権限を持つ組織が判定するわけですよ…?


社会通念上認められていることまで「人権侵害だ」という烙印を押されてしまう、


普通に生きている一人の人間を社会的に抹殺する可能性がある「恐ろしい法案」なのだということを考えなくてはいけないのです。



なぜこんな法案を 是が非とも成立させようとするのか…?


いったい誰が この法案があることで得をするのか…?


日本には差別を利用し、差別を利権にしている人間がいますよね?


そして…そういう団体と深い関わりがあるのが…現与党の民主党なのです。


民主党の支持母体がこちら ↓ です。

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  マスコミが報じない民主党の真実さんより画像をお借りしました。

見づらい方はこちらをクリックしていただくと、拡大してご覧になっていただけます。(別枠でPDFで開きます)


この図 ↑ の真ん中のあたりにある3つが この人権救済機関設置法案を待ちこがれている団体なのです。


朝鮮総連、民団、部落解放同盟です。


昔から 差別されて辛い思いをして来た!…と訴え続けている団体です。


でもね…。


考えてみてください。


日本って そんなに差別の激しい国なのか…?


日本って そんなにも人権侵害が著しい国なのか…?


私ね、子供の頃を思い出してみたんです。


差別ってあったかなぁ…?って。


私が子供の頃に住んでた地域はいわゆる被差別部落がありました。


朝鮮籍、韓国籍のクラスメートもいました。


でもね、みんな普通に、いっしょに遊んでいたんです。


あの子は部落の子だから、あの子は韓国・朝鮮籍の子だからって、


特別に仲間はずれにしたり、いじめたりするようなことはなかったように思うのです。


子供独特の いじめや おふざけ等はありましたが、


それと差別を結びつけるのは…ちょっと難しいのではないかな…と思います。


中学・高校時代に、同和教育がありましたが、


そういう教育を受けて、はじめて「そんな差別があったんだ…」ということを知りました。


今、思うとあの時に教育された「同和教育」の中にあった「差別」も、


実際に そういう「差別」を自分たちがしてきたわけではないし、


差別を受けた人から、直接「差別」の話を聞いたわけでもないんですね。


もしかしたらものすごく辛い目にあった 韓国・朝鮮籍の人や 被差別部落の人は存在するかもしれないけれど、


国の法律で「差別を取り締まる」ことが必要な、それほどの差別はなかったのではないか…?と私は思っています。


日本国籍がないことでの区別は差別ではありません。

男女の区別は差別ではありません。



言うだけなら、差別がなくても差別があると いくらでも言えるわけです。


自分は差別なんて,人権侵害なんて これっぽっちもしている気持ちがなくても、


ある日、突然逮捕される…!なんてことが、


この法律が成立すると 現実として起こる可能性があります。


もう、ブログなんて書けない。


ツイッターで気軽につぶやくこともできない。


友人と、気軽に世間話もできない。


だって、何が「人権侵害」に該当するか わからないのですから…。


それを判断するのは「人権委員会」という得体の知れない組織なんですから。



最近、ア○ブロというブログのサービスで、


突然,書いた記事が消されるということが起こっています。


私のお友達ブロガーのかげさんも その一人。
  ブログ記事消されたのだけど??


かげさんの場合、利用規約違反だそうですが、


かげさんには いったい何が利用規約違反なのかよくわからないんだそうです。


その記事を読まれた方も何も問題はない記事だったのにとコメントされています。


利用規約のどの項目に違反しているのかすら教えてもらえず、


記事がひとつ バッサリ消されて 編集ページにも残っていないのだそうです。


その上、「調子こいてたらIDごと削除するぞ」って意のメールまで送られてきたそうです。


かげさんの他にも韓国の歴史の史実を記事にして、ア○ーバのIDごと削除されたブロガーの方もおられました。


これって怖くないですか…?


ブログ版の「人権擁護法案」ではありませんか…。



日本には言論の自由があります。


もちろん、自由があるからと、何でも発言していいわけではありません。


自分の発言には責任を持つことは絶対条件として必要です。


しかし。


言論の自由があるはずの日本において 第三者に監視され、


人権侵害をした覚えもないのに、いきなり逮捕される。


しかも、いっさい こちらの言い分を聞いてくれることはないのです。


そんな時代がやって来るとしたら…!


私はイヤです!


日本をそんな国にしたくはない!


「人権救済機関設置法案」に断固 反対します!



こちらのブロガーの方 ↓ も危機感を訴えておられます。ぜひ、ご覧下さい。
 日本が好き、日本のことがもっと知りたい♪
    「人権侵害救済法案 反対の声を届けよう!」


 ぼやきくっくり
 「部落解放同盟「解放運動」の犠牲者…人権救済機関設置法案20日閣議決定?」


 ひのもと情報交差点
【重要】4月20(金)閣議決定へ! 自由な言論を抑圧する「人権委員会設置法案(人権侵害救済法案)」が、国会に提出されようとしています(意見例と意見先あり)



こちら ↑ のブログに意見の送り先がありますので、


皆さま、ぜひ! 民主党には抗議、自民党・たちあがれ日本には阻止をお願いするFAX、手紙を送ってください。


メールでもいいのですが、紙に残る方が効果的なのだそうです。


できるだけFAXか、ハガキや手紙をお願いいたします。


閣議決定されてしまえば 取り返しがつかないことになってしまいます。


4月20日までに! FAX、ハガキ、メールを送ってくださいませんか。


皆さま、どうかよろしくお願いいたします。




     【お知らせ】

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posted by えいと@ at 10:41| Comment(17) | TrackBack(0) | えいと@の独り言(日本を憂う) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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