2011年01月13日

センゴク時代を振り返る〜Byさどつおる氏のコラムより〜


皆さま、こんにちは、えいと@です。


本日もご訪問くださいましてありがとうございます。



突然ですが、皆さま、このお方 ↓ をご存知でしょうか?


    sengoku.jpg


え? 誰? わかんない〜…って思われました?


さわやかな好青年ですよね?


いったい誰なのでしょうか?


この方の現在のお顔はこちら ↓でございますー。



            ↓





            ↓





            ↓



     sengoku2.jpg


じゃん! 民主党の官房長官、仙谷由人氏でございますー。


菅直人首相は12日、内閣改造・民主党役員人事を14日に行う方針を固めた。
改造に先立ち、同日午前の閣議で辞表を取りまとめる。
参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官は交代させる方向で最終調整に入った。
後任には、仙谷氏に近い枝野幸男幹事長代理を推す声があるほか、岡田克也幹事長との入れ替えも取り沙汰されている。
首相は13日の民主党大会後に最終判断する。
仙谷氏の処遇については 党の要職への起用が有力で、岡田氏との交代のほか、空席となっている代表代行などが検討されている。

  14日、内閣改造=仙谷長官交代で最終調整−菅首相 jiji.com


はぁ〜、陰の総理大臣もいよいよ問責決議を受けて官房長官をお辞めになるって思ったらしっかり党の要職のポストが確保されているわけですか…。


どう転んでも影響力がある地位からは離れない根性でいるようですね、この方は…。


お顔に野望が表れてますよね。


若い頃はあんなにさわやか青年だったのに年と共に内面が顔に表れて来たのでしょうか。



さて。


お友達ブロガーのさどつおる さん仙谷由人氏を鋭く分析されております。
   つれづれ日記 センゴク時代を振り返る
  

ちょっと長いのですが、うんうん!…と頷ける内容ですので、ぜひ! 読んでくださいまし。



    〜〜〜転載ここから〜〜〜

仙谷由人…1946年(昭和21年)生まれ…所謂「団塊世代」の生まれである、
現政府与党・民主党の内閣官房長官。

東京大学法学部中退・弁護士出身の代議士で当選6期目。
ここまで書くと、日本人のイメージする「エリートコース」に見事なまでに合致することに気づきます。
しかし毛色が違うのは、元全共闘の活動家であったこと。
所属政党も日本社会党→社会民主党→民主党と、バリバリ左翼おじさんであることを物語っています。
国会会期中・休会中に関わらず、問題発言を連発して、もうどの発言をどう責任取って貰うのかさえ、定かではありませんが、
ここでは順を追って、その問題とクズっぷりを検証していきたいと思います。


1:テロリズム容認?(2004年9月30日)

「政府の対応に不満を持つなら、目指すは官邸か内閣府だ」
−自称右翼団体の男が衆議院通用門に車で突っ込んだ事件を受けて。

…これはまだ野党の時の発言であることが明確に分かりますね。これが与党である今なら、同じ事が言えるでしょうか?
言えないだろうなあ…そういうダブスタが、この人を非常に見苦しくさせています。

2:文化大革命(2009年11月12日&12月9日)

「政治の文化大革命が始まった」
−毎日新聞政策情報誌「毎日フォーラム」のシンポジウムにて、事業仕分けを受けて。
「事業仕分けで文化大革命が起こってますよ」
国家公務員制度改革推進本部の幹部職員10名の更迭後。

…一党独裁による粛清である文化大革命をどう考えて居るのか、仙谷という人の基本スタンスが計り知れる言葉です。
もうテラ笑うというか…なんというか…
革命…中でも「文化大革命」が、特別の聖なる高尚なものであると妄想してるんですね。
目標が形骸化され、達成のプロセスが全て正当化される、恐るべき思考です。

因みに文化大革命について、帰化なさった中国の方がいかにお考えか、
政治系ブログ「支那豚の楽園」様で取り上げておられます。
 http://pigzhina.blog122.fc2.com/blog-entry-184.html

3;ケロヨン窃盗(2010年3月1日)

「東京大学在学時はケロヨンと呼ばれていた。理由は酒に酔って薬局から看板を失敬し下宿に飾っていたから」
−ラジオ番組で、学生時代のあだ名を聞かれ

…これはまあ…窃盗なんですが、若気の至りっちゃそうなので、大して問題は無いとは思うのですが、
立場が政治家という…人の上に立つ仕事なので…まずいっちゃまずいかな…せめて後日詫びを入れたくらいのフォローをしておけば、社会人として問題はないとは思うのですが☆

4:のんきな構想?(2010年6月18日)

「のんきな構想で作ったが、税収が当初予算よりも減った」
−BS朝日の番組で、2009年の民主党マニフェストについて

2009年のマニフェストというと、あの政権交代をした衆議院選の時のマニフェストです。
それを「のんきな構想で作った」ですと。
あの腐れマニフェストを信じる方がどうかしてるのですが…信じてる人が多かったというか、期待してた人が多かったから、あの政権交代があったんですよね。
「のんきな構想で作ったマニフェストだから、信じる方が悪いよ」って事でしょうか。
これで怒らない国民も、まったくどうかしてますよ。

5:法的な正当性(2010年7月7日)

「(鳩山元首相の脱税疑惑について)法的な正当性は問うていない」
−日本外国人特派員協会記者会見にて

…思わず「はあ?」と聞き返し、さらには単語の一つ一つを辞書で引き直してしまいます。
脱税は脱法行為です。「愛ゆえの行き過ぎ」でも違法行為です。例え時効が発生していて罪に問われない部分があろうと、政治家という仕事を選んだ以上、その道義的責任は一般人以上に自分自身で問うていかねばなりません。それは「国民を導いていく職に就いた者が負う道義的責任」なんです。

それが甘い鳩山さんに対して国民が問うたわけですが、仙谷センセイは「法的な正当性は問うていない」。
詭弁ですねこれは…
しかも日韓基本条約の法的正当性を日韓両国が了承している点については「法的な正当性を問わない法」という、裏の裏は表と言わんばかりの詭弁中の詭弁を開陳して、世界中の記者からの失笑を買いました。
仙谷センセイの恐るべき厚顔無恥はここに集約されています。
論理としてはとうの昔に破綻しているにもかかわらず、それを屁理屈で強弁し、その場をしのげばそれでいいという、途轍もない「場当たり的」な発言が目につきます。
その発言は「場当たり的」でも、それが与える影響は多大なものであり、場合によっては他国との外交問題に発展するものまであり、この人を官房長官とする国民としては到底容認できません。

6:貧乏人は麦を食え(自著:『金融・経済危機そして日本』より)

「かつて『貧乏人は麦飯を食え』といった政治家(注・池田勇人を指す)がおりますけれど、今はそんな度胸のある政治家はありません。私はここまで(注・のどもとを指す)でかかっておりますが、次の選挙でもう一回落ちたらもう立ち上がれないと思っていますので、ちょっというのを控えています」

…つまり、「貧乏人は麦を食え」と思っているけど、それを言ったら次の選挙で落ちそうだから言わない。
「選挙で落ちそうだから言わない」というのは、立候補者にままあることですが、それをボコっと言ってしまう辺りが、仙谷センセイのコスいところ。
自称「革命指導者」(失笑)として愚民を導くためにこれこれこういうことを「思っては」いるんだけど、それ言っちゃうと民主主義選挙じゃ落ちちゃうから、言わないでおくことにしたんだ。でも革命が達成した暁には、そう思ってたんだって思い出してね。それまでは忘れておいてよ。とね☆
もうバカかというか…自分がバカだと思ってないバカに限って、こういう妄想予防線を張る。

7:閣僚が国家公務員を脅す(2010年10月15日)

「上司として言っておきますが、こういう場に呼び出すのは彼の将来を傷つける。優秀な人だけに大変残念だ」
−衆議院予算委員会での発言

民主党政権の公務員制度改革が不十分なため、みんなの党の要請で、経済産業省官房付の参考人を招致したというのに、てめぇらの取り組みが批判されたと見るや、立場の弱い公務員を恫喝。
恫喝…これはもう仙谷センセイの専売特許。「俺様は選ばれた指導者だ!貴様ら愚民は、牛のようにただ黙って俺の有り難い導きに従え!」という態度。
アホが権力握った途端、居丈高に出る。その迷惑な見本。

8:健忘症発言(2010年10月18日)

「最近健忘症にかかっているのか分からないが、そういう電話で暴露されるような会話をした記憶は全くない」
−参議院決算委員会で、自民党の丸山議員から尖閣衝突事件後の電話での会話を暴露されて
「仙谷健忘長官」と揶揄される原因となった発言ですが、これで一番気に障るのは「記憶は全くない」と言い逃れをしているところです。
つまり「動かぬ証拠」を突きつけられても「記憶違い」で断定した責任を逃れようという、何とも姑息な魂胆がミエミエ。これって法廷闘争で法解釈や証言の文言のみをあれこれいじり倒す、そういう癖が抜けていないからなのでしょう。

9:天皇陛下はリベラル(2010年10月20日)

「天皇陛下を含めて(皇室は)日本で最もリベラルな方々の集団」
「右派は右派、左派は左派、リベラルはリベラル。リベラルという言葉に左派というレッテルを押す用語法を私は全然使っていない」
−記者会見で

…この人は憲法1条をどうお考えなのでしょうかね?
この日本国の主権者は国民であり、天皇陛下(並びに皇族方)はその日本国の統合の象徴です。
それを右だの左だのとカテゴライズすることが、そもそも公正な目を欠いていることに気づいてないってあたりで、もうイタ過ぎる。
それに「集団」ってなんですが。集団って。…用語的に間違って無くても、何かイヤだ、この言い方。
リベラルというと、所謂「自由主義」なんですけど、一般的には左派に属する…所謂「アナキスト」に向けられているのが実態でしょう。その現状を無視して、「リベラル」のレッテルを天皇陛下や皇族方に押すこと自体、もうアタマおかしいんですよ。
そも天皇陛下や皇族方が「自由に」ご発言されたり、お考えを述べることはまあないでしょう。特に政治的に影響がありそうなことには、発言を控えられるのが通常。
そのどこが自由だってんですか
皇族方=一般市民ではないことは、殆どの国民が知っています。選挙権もありません。
この人は陛下や皇族方を、便利な外交ツール程度にしか考えて居ないんじゃないかとすら思えてきます。
(飯喰ったり、休み休み、ぐだぐだ組閣人事をしておきながら、ご静養中の天皇皇后両陛下を東京に呼び戻し、あろうことか深夜に認証させたボケなすですしね)

10:盗撮発言(2010年11月9日)

「あれは盗撮だ」
−「厳秘」と記された資料を衆院予算委員会で広げ、それを記者席から撮影されて
「釈然としないが撤回する」
−写真部長会から「通常取材の範囲内での撮影である」と突っ込まれて
「時代と共に撮影のあり方を考え直す必要がある」

…逆ギレ三段論法。
「撤回する」…こういう言い逃れをしながら、絶対に謝らないのは仙谷センセイの特徴でもあります。
こういうイタい親爺、たまにいますよね。
「実るほど、こうべを垂れる 稲穂かな」…仙谷センセイはその逆を暴走しておられます。
権力なり人気を得るには、周囲の協力が不可欠。偉くなればなるほど、学べば学ぶほど、人は謙虚になるべきであると。
でも仙谷センセイは別。自分の不注意は棚に上げて、撮ったヤツが悪い。その次は取材規制も必要…なんじゃそりゃ 自民党の政治家がそんなことしました?カメラがどこから狙ってるか分からないところで「厳秘」指定の書類を拡げてましたか〜?
自分の不注意を他人に転嫁する。平成の無責任親爺=仙谷センセイです。
(それと…確かこの「厳秘資料」は、尖閣のビデオを公開した場合のメリットとデメリットについて記されたものでしたよね。私は「盗撮云々」より、その内容の方が遙かに問題だと思ったのですが、結局有耶無耶になってしまいました)

11:自衛隊は暴力装置(2010年11月18日)

「暴力装置でもある自衛隊」
−参院予算委員会での質疑中
「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」
−上記の発言に自民党が猛抗議したことを受けて訂正

…この発言の裏は…確かレーニンの著作が元だったと思います。外向きの暴力=軍隊と内向きの暴力=警察という書き方をされていると思うのですが…
そもそも国家はその二つの「暴力」を独占していると考えられる。これ、学問的には間違いではない。そこが問題。
学問的には間違いないのでしょうが、「暴力」という言葉がこのように理解されるのは政治学の机上においてであって、一般的ではない。
政治学や全共闘あがりのアタマの中では軍隊・警察は国会によって占有される暴力装置なのですが、一般的にはそうは考えられないのが問題なんです。
同様に齟齬の生じる言葉として、学生運動華やかなりし時代に、学生達がよく口にした言葉に「ゲバルト」というものがあります。(ほら、内ゲバとかゲバ棒とか言ったでしょ?)
これを「暴力(violent)」と訳すか、それとも「力(power)」と訳すのか…それとも社会学の定訳語としての「暴力」と解するのがいいのか…それでもそこに一般認識とのズレがあります。

つまり…問題は、仙谷センセイのオツムの中は、バリバリの政治学で凝り固まっていて、政治家として必要とされるコモン・センスに則ってはいないことじゃないでしょうか。
センスっつーと誤解される向きもあるかと思いますので、言い直しましょう。これって仙谷センセイの確信犯的モラルハザードです(断定)

12:民間人にも表現の自由を制限(2010年11月18日)

「民間人であろうとも自衛隊施設の中では、表現の自由は制限される」
−参院予算委員会

…これは例の埼玉10区選出の松崎哲久議員(民主党)の「俺を誰だと思っている」発言の元になった、空自OBによる「民主党政権がさっさと倒れるべき」という主旨の講演を受けて、政府からの圧力によって防衛省が自衛隊行事に、政治的発言をする者を呼ばないよう、事務次官通達を出していた問題に関しての発言。
場所が自衛隊施設という、何ともデリケートな場所でのことなのですが…自民党時代にはそんな話は聞かなかったけどなあ…
しかしOBとはいえ、現在は民間人。その民間人の発言を規制するというのは、これは本末転倒。
そもそも明らかな憲法違反です。
早い話、仙谷センセイは、これは民主党批判だから目くじら立てて、権力を盾に規制に乗り出したってトコが実に許し難い。
大体自民党政権下で防衛省OBが自民党批判したって、仙谷センセイ、それに文句言いますかね?
どうせ「民間人、しかも自衛隊OBの発言は重い!自民党は反省せよ!辞任!退陣!」って言うに決まってるのに、批判が自分たちに向いた途端に規制に走る。こんなダブスタ人間が政権の座にいること自体がおかしいでしょう?

13:アナクロ発言(2010年12月)

「非常にアナクロティックで、非常にまずい外交だった」
−フジテレビ番組で小泉純一郎元首相の靖国神社参拝と対中外交について

…アナクロティックではなく、アナクロスティック=時代錯誤ですが、これは細かいところだから置いておいて…

靖国神社参拝が、何でアナクロスティックなのか、其処の所の説明がまったく為されていません。

一国の宰相が、自国のために戦死した方々を追悼するのは、何処の国でも当たり前のことではないのですか?
戦争という人類にとって不幸な状況下で、国のために闘って命を落とした方々に哀悼の誠を奉じるのは、これは国家の責務です。小泉首相はその「責務」を全うしただけ。
そうして中韓の反発に腰が引けている人は…まず国としての責務を果たしていないだけではないのですか?
なぜ日本だけがダメなのでしょう? A級戦犯が合祀されているから?
では聞きますが、A級戦犯ってなんですか?戦勝国が分類上、便宜上に作った組み分けでしかないじゃないですか?
日本を戦争に導いた罪?人道上の罪?それってなんですか?
あの手この手で国民を散々煽ってきた新聞は、その過去を総括して反省しましたか?
戦後になると口を拭って、今度は国を袋だたきにした(現在進行形)ではありませんか?

いつまでもいつまでも大東亜戦争に拘り、65年以上経っても終わったはずの戦争責任…否、敗戦責任を問うのなら、どうしてさらに遡って、「なぜ戦争は起こったのか?」を考えないのでしょうか?
軍部が開戦に踏み切った?違いますよ、開戦に至るプロセスを、まったく棚上げしていることが問題なのです。
いつまでもいつまでもヒステリックに敗戦責任を問うのならば、今の自分があの「ハル・ノート」に記された条件を飲めるか、もう一度考えるべきです。

左巻きの人がよく言う台詞ですが
「ではあなたは、愛する息子を戦場に送り出せるのか?」

これは卑怯な文言です。
あの大東亜戦争の時、多くの母親が喜んで愛する息子を戦地に送り出したとでも言うのでしょうか?
靖国神社に奉納された花嫁人形を見て、胸が痛まないのでしょうか?
多くの母親が、妻が、子が…胸の内で流し続けた、今も流し続ける涙を、知らないとは言わせません。

いっそのこと、翻ってこう問うべきです。

「あなたは愛する者を守るために、命を賭して闘う覚悟はあるか?」

多くの母親が、妻がその問いに対する明確な答えを胸に抱いていることでしょう。
靖国神社は戦死した方々との「約束の地」だと言うことを、もう一度考えてみては如何でしょう?

「靖国で会おう」
「お父様に会いたくなったなら、靖国にいらっしゃい」


その亡き人との約束を、反故にしてしまえる国家って、なんなのかと考えたくなります。


先だって「実録!連合赤軍−あさま山荘への道程」という映画を見ました。
浅間山荘事件の時、私は小学校だったと思いますが、銃撃戦やら鉄球のシーンは鮮明に覚えています。その前後に起こった60年安保、「山岳ベース事件」や「大菩薩峠事件」も、時系列こそでたらめですが、朧気に記憶にあります。
ちょうど兄弟同然に過ごした従兄が大学生で、安保闘争で殆ど休講になって…よく遊んで貰いました。
長髪の大学生がドカヘル被ってゲバ棒持って、「我々は!我々は!」を連呼していた…そんな偏見と一緒に、釈然としない思いを抱いていました。
んで齢半世紀に届こうという今、仙谷さんらの行動・言動に首を傾げることが余りに多くて、あの当時の安保闘争やら内ゲバやらをちょっとでも知る機会になればと、この映画を見たわけです。

上映時間3時間余り。う〜ん、壮絶な映画でした。
あの頃は戦後の厭世気分というか、政府に対する反感が渦巻いてて…確かに、ちょっと前に戦争していた国と安保条約を結ぼうというのですから、それに対する反発や、既存権力を憎悪する気分は若い人、特にインテリゲンチャに多く見られたのかも知れません。

今となっては共産主義・社会主義の化けの皮ははがれてるから、そうそう先鋭化することはないのでしょう。でも当時はそうではなかった。
暴力装置の項でも書きましたが、警察=国家の暴力装置。その構図が鮮明で、それに対抗する弱者=権力に虐げられる者の代表…それが自分たち学生であると考えたのでしょう。

惜しむらくはそれは誤解で、多くの国民は権力に従い、時に厭世感を抱きつつも現実と折り合いを付けて、狡くもしたたかに生きていってたのです。
国を憂い、革命を夢見て立ち上がりながら、自分たちの為していることの反社会性に気づかず、やがて仲間に対して精神的な向上を要求する余り、粛清から凄惨なリンチ殺人…引いては無辜の市民を巻き込んでの人質籠城事件へと突き進んでいく…。

彼らが抱いていた社会主義や共産主義。これは理想としては間違ってはいません。
私はそう考えています。
しかし人間はその理想を実現するには、余りに弱いのです。
大抵の理想主義者はここに気づいていません。

私は同様の感慨を「平和」という文言にも感じています。
1対1の人間関係でも、ちょっとしたことから行き違いや諍いが起こるのに、それを世界レベルで行うのには、どれほど膨大な努力と不断の自戒が必要なのでしょう?
それがどれほど微妙な理性の天秤にかけられる、壊れやすい均衡なのか、「平和」を語る人は考えたことがあるのでしょうか?
こう書くと極論に思えるかも知れませんね。

んー…「あ〜ラクしたい」とか、「あの人は金持ちでいいなあ」とか思いません?
みーんな働いているとき、サボってる人を見かけたら、ハラ立ちません?
共産主義や社会主義では、そう考えちゃいけないんです。何も考えない。
国家存続のための考えない部品になる。これが必要なんです。それ以外は必要ない。
必要ない不良部品は粛清の対象。


みんな同じ、みんな平等…一見理想的ですが、これ、おっそろしい事になります。
人間が人間じゃなくなるから。
そしてこれが大問題。この「一見理想社会」にも指導者がいます。
一部の指導者+考えない部品国民という構図。
一種の独裁制と何処が違う
のでしょうか?

この手の運動を振り返って、その是非を言うつもりはありませんが、
成田闘争以降…最近では普天間基地移設に見え隠れするのは、旧社会党や共産党が学生や労組を誘導し、利用しようとする構図です。
ある意味純粋で、理想を追い求めていた学生を利用し切り捨て、生き延びて世の中と折り合いを付けながら、ことあるごとに「革命」の衣を袖の辺りから見え隠れさせる「大人」の狡さ。
自分自身は国家の恩恵にあずかりながらも、庶民には手厚い社会保障を謳うその衣の裾から、その嫌らしい「革命」の意識が覗くたび、私は吐き気を催しそうな胡散臭さを感じます。

仙谷センセイも菅総理も、この『革命思想』が脳天に染み着いてる方々なのだと思うのです。
だから「革命達成のための詭弁や嘘も方便」くらいにしか考えてない。

政権公約であるはずのマニフェストを反故にしてしまうことくらい、朝飯前。
自分の頭の中には「素晴らしい理想への革命」があるというのに、
猛反発する国民の心情がまったく理解できない。
あのツッコミ所満載の鈍感力の背景には、こういう修復不能な思い込みがあるような気がします。
菅さんも仙谷センセイも、かつては「反体制」を標榜した運動家でした。
しかし今はいかがでしょう?
かつてあれほど憎み、打倒せんとした「体制側」に自らがなっているのです。

それでも国家打倒を謳い、革命を語るのであれば、それは私たち国民に対する、十分な背徳行為です。

映画「連合赤軍」では、しきりに『総括』という言葉が出てきていました。
急速に追い詰められ、閉塞感に苛まれる中で、それは「真の革命戦士となるための反省」の名を借りた、凄惨なリンチ殺人へと変容するわけですが、さて、かつて運動家だった仙谷センセイや菅総理は、自らの学生運動をどう総括されたのか?

私はしてないんだと思う。労働者というか組合に利用され、引きずられて「反体制」の運動に中途半端に関わり、やがて現実的に世の中と折り合いを付けて生きていく…だけだと問題は無いのでしょう。
しかし仙谷センセイや菅さんの胸の内には「革命」のヒロイックなセンチメンタルが燻っていて、それゆえに政治家になった。これが問題なわけです。

一人そのロマンティシズムに浸って、人生を燃焼させるのなら構わないのですが、彼らのヒロイズムの先には、国家の存亡と国民の生命・財産がかかっているんです。

どんなに働いても、それらが全て国家に吸い上げられ、誰彼の分け隔て無く分配される。そんな世の中で、誰がぬきんでた物を作り出そうとするでしょうか?
子供を産み、育てようと、それらは「国家の子供」であり、個人のものではない。

「連合赤軍」の中でもありましたよ。「○○は赤ん坊を自分のものだと考えているに違いない。あの子供は党のものだ!」というくだりです。

子どもを国が育てるというのは共産主義思想から来るものだと聞きます。
国に育てられた子どもはまた従順な国民として、国民の一員に組み込んでいく。
これを繰り返すことで完全に管理された家畜のような国民と、一部の指導者からなる共産主義体制が維持
されることになるということです。

こういう考え方は、一種カルトのようなものではないでしょうか。
その一端があの「子育て支援策」や「夫婦別姓法案」に見え隠れして、
私は到底容認するわけにはいきません。
仙谷センセイや菅さん、オカラさんにも強く感じることなのですが、あの方達は幻想を見過ぎている。
「革命」というドラマティックな舞台で、英雄として人々を導く幻想です。

その目的達成のために手段を選ばない。

政権交代という目的のために、あらゆる手段=嘘を正当化させ、それに気づいた国民の非難の声から耳をふさぎ、内面世界に閉じこもっています。
政権交代こそが大目標であったばかりに、それが実現した先のことは何も考えて居ない。
それがこの1年余りの、政治的無策に現れているのではないでしょうか。

そこには途轍もない「甘さ」が見えませんか?
他者に容赦なく、自分にどこまでも甘い、駄々っ子です。
仙谷センセイ、菅総理、オカラ幹事長…赤松さんにハマグリさん、
松崎哲久さん…ついでに人魚のミイラ=輿石さん。

あなたたちは「革命」の先を見ないうつけ者です。

目的のための手段を正当化する卑怯者です。

あなたたちは断じて革命戦士などではない。

あなたたちこそ、自らが「刈られる麦の穂」に過ぎないことを、思い知るべきです。


               〜〜〜転載ここまで〜〜〜



我々国民が気づくべき事、それは民主党は民主主義の政党ではないということです。


党の名称が「民主党」なので 気がついてない方もおられるかもしれませんが、


民主党の議員の多くは 旧社会党の議員です。


国民の皆さまは日本が社会主義、共産主義国家になる事を望まれていますか?


崩壊した東ヨーロッパ、ソ連そして中華人民共和国や北朝鮮のような国に日本がなった方がいいとお考えですか?


一部の特権階級の支持のもと、国家の存続のための部品となり 働き蜂のように働くことが理想的であると思われますか?


思想を持つ事も言論の自由も許されない国の国民になりたいですか?


どんなに頑張っても まったく頑張らなくてもみんな同じ平等な生活が理想だと思われますか?


社会主義、共産主義国家がいいと思われる方は このまま民主党政権の政治を支持し続ければいいと思います。


日本は民主主義国家である!と思われる方は、どうか声を上げてください!


「ねぇ、これ知ってる?」って 家族で、職場で、ママ友の間で話題に出してください。


民主党が押し進める とんでもない日本解体法案に反対の声を政府や政治家に届けてください。


もうこれ以上民主党に政治を任せていたら どんどん日本は沈んでしまいます。


そうなってしまう前に 我々国民の力で食い止めませんか?


先日「公務員のスト権」に反対する意見を内閣府に出すお願いをいたしましたが、


多くの方の「公務員にスト権は必要なし」の意見が寄せられたようです。


そして民主党は「公務員スト権」の見送りをする方針を決めたそうです!

 こちらの記事の【追記】 ↓ をご覧になってください。
   民主党と安全保障〜どうやって日本を護る?


国民の声は けっして無駄にはなっていません!


今後も 我々の手で日本を守るために頑張っていきたい!


そんな風に思っています。




それではまた〜。。。(⌒ー⌒)ノ〜〜〜



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posted by えいと@ at 15:31| Comment(24) | TrackBack(0) | えいと@の独り言(日本を憂う) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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